夢における記憶と認知

知り合いのサイトで、先日からコスプレだの女装だのというコメントが続いていたのを読んだ所為か、そこでいじられているところの管理人さん(男性)が女装して登場する夢を見た。
夢の舞台設定は、別にコスプレイベントとかではなく、なんかありふれた日常の会合である。そしてそこに集っているさまざまな人−知ってる人も知らない人も−の中には、小学校時代の同級生もいて、私は彼女とおしゃべりをしている。
彼の方はといえば、お嬢さん風というか、まぁ乙女な出で立ちで、つまりちょっとフリルの襟の白いブラウスに綺麗な飾りボタンのついた黒のニット、ミニの巻きスカートを履いていて、生足が出るのをしきりに恥ずかしがっているのだが、私は元同級生の彼女とそれをなだめながら、「足が一番きれいに見えるミニスカートの丈の長さ」について真剣に話しているのである。


途中から、意識が覚めてきたのか、視点が第三者的になり、あまりのシチュエーションに可笑しくて、笑いながら目を覚ました。私が「夢を見ている〜目が覚める」までのプロセスは、大抵、覚醒してくると、「これは夢だ」と認識し始め、同時に、今まで自分が夢の登場人物だったのに、だんだんとドラマを見ているように視点が第三者へ離れていく、というパターンが多い。この過程である程度、夢のストーリーを記憶することもできる。目が覚めてもすぐにまたまどろむことができれば、夢の続きを見ることもある。夢は色がついており、というか色を認識しており、味やにおい、痛みを感じることもある。これは体がホントに傷ついたり痛いわけではなく、夢の中でそう感じているだけだ。体の痛みが(そこが痛い、という)夢を見せることはあるだろうけれど、夢の中で傷ついた場所が、目が覚めたら実際に傷ついていた、というようなことはない。


さて目が覚めてから、や、だいぶ可笑しくて布団の中で笑っていたのだが、不思議なことに気がついた。
私はその女装管理人さん(や、夢の中でねw)とは、一度もお会いしたことがないのである。小学校の同級生にしてもそうだ。卒業以来、彼女とは会っていない。なのに、夢の中では彼女は今の私と同じくらいの年に成長した姿で登場し、私は2人を、それぞれ確信もって ○○さん、と認識しているのである。


今現在の実際の姿を知らないにもかかわらず、「その人」である、と認識できるのはおかしな話のようだが、それはつまり、夢の中の「その人」の姿は、「その人そのもの」ではなく、「その人」を表す「記号」なのだといえるだろう。自分の夢の中のイメージを「その人」と名付けているわけで、本物と一致しなくともよいのである。
夢におけるこのようなイメージと認識の間の「紐付け」は、しばしばとんでもないキャラクターで行われたりする。夢の中で猫がしゃべっていたり、友人が2次元キャラで登場したりしても、それをおかしいと思わない。
私が夢の中で会っていた2人は、それぞれ3次元の男性、女性ではあったが、その造詣はやはり自分自身で勝手に作り上げたものだろう。なぜなら、髪型や眼、手の動きといった、パーツパーツは結構はっきりと思い出せるのに、それをもって全体の顔や表情を構成できないからだ。全体像を思い出そうとすると、とたんにあやふやな像になってしまうのである。
思い出せる「部分」は、多分普段からよく見ている人−家族、友人、TVや雑誌で見ている有名人など−の顔や体の一部の記憶を引っ張ってきているのだろう。特にグラビアなどの写真や静止画は記憶しやすいものだ。


一方、現実に、毎日顔をあわせている人たちにしても、どの位正確にその姿かたちを記憶しているものだろうか? 遠目にみて「あ、○○さんだ」と思うとき、どのように「その人」だと認識しているのだろうか、と考えると、私は視力が悪いので余計そうなのだが、決して顔がはっきりと見えていなくても、例えば髪型や背格好、歩き方などで判断をつけているように思う。つまり、その人の「一部分」で、「その人」であると認識しているのである。
ならば、夢の中で、パーツパーツは思い出せても全体像をはっきりと覚えていない、というのは、一つのオリジナルの全体像を作り上げることの難しさはもちろんだが、普段の(リアルの全体像の)認識、そして記憶の仕方にも原因があるのではないだろうか。


人の記憶というのは主観的である。親が思い浮かべる子供の顔は、たとえ毎日現実の顔を見ていても、いつも年齢より少し幼かったりする、と聞いたことがある。天候や色、そのときの気分、匂い、といったものに強調されて、つねに自分の主観が入り込んだものになる。
これに対し客観的記憶とでも言うのだろうか、写真的記憶、というものがある。あたかも写真で撮ったかのように記憶し、シーンの細部まで、まるで写真を引き伸ばしにするように思い出すことができるというものだ。自閉症患者の一部に、このような超人的な記憶術を持っている者もいるという。またこの記憶術は、訓練することにより、ある程度身に付けることができるそうである。


。。。とまぁ、あまり話が進んでくると、認知科学だとか記憶学習とかいう専門的な話になってきてしまうのでこの辺でやめておく。学術的な裏付けを拾うとかするつもりも毛頭無い。なぜなら、今日の日記の主題は、「せっかく夢にまで出てきたんだから、コスプレしてよー☆」ということなのだから。
つか、あのミニスカートと生足の記憶はどこから拾ってきたモノなのか、自分でも気になって仕方がないんですけど。。w